言葉の壁
言葉の壁・・・・
わたしは仕事で営業で廻っています。
大阪から移住してきて言葉が少しわからない
(簡単なところで「てげ」「ぬきぃ」等)はありました。
ですが今回まったくわからない、まさに外国語と
言った感じの言葉の壁に出会いました。
いままで感じたことはなかったのですが、仕事柄
言い方・言葉の選択・ニュアンス・口調等で
相手が何を考えどのような考え方・性格の方という
のを予測したりするところがありました。
なので言葉がわからないと相手がどのような方かがわかりません。
そうなってくるとわかる部分の少ない情報から
相手の人柄を予測しようとしてしまい
相手の人物像を間違って感じ取ってしまいました。
大阪にいた時は疑ってかかってしまうところがどうしてもあり
宮崎の方々の人の良さになじめていない感もあるのかなとふと感じました・・。
(悲しい話ですが都会人の性でしょうか・・・)
なじむにはまだまだ時間はかかるでしょうが、言葉は移住の登竜門なのですかね~。
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今から20年ほど前のことになります。
仕事で大阪から月のうち半分を
東京で過ごすことになりました。
当時はまだ関東方面では根強い
「大阪弁アレルギー」がありました。
最初は和やかに挨拶をかわしても、こちらが
打ち解けて「大阪弁」が出だすと、とたんに
嫌悪な表情が見え出すこともしばしばでした。
「大阪弁の人間はそのスジの人物か漫才師」
そんな根拠のない判断がされていました。
仕事で会社の名刺を渡していても、その後から
身上調査をされながらの毎日でした。
現在は「ヨシモト」のおかげでしょうか、「大阪弁」
も全国区になり(?)その頃のようなことは無い
とおもいますが・・・
東京での仕事もふた月ほど過ぎて、私自身
一代決心をしました。
移動には「新幹線」を使っていましたので、東京の手前
「富士山」が見えた時点で「大阪弁」を捨てることに
しました。
「標準語」のみで通しました。
今、思うと詰まらないこだわりですが、この作戦は
その時は大成功でした。
営業の数字、成果は明らかにのびました・・・
振り返って考えるのは
「言葉の壁、は心の壁」だったんじゃないか・・・
そんなふうに考えています。
「言葉と言葉」のスタンスでは無く「人と人」のスタンスが
行き着く結論なんだろうと思います。
100人いれば100通り、1000人いれば1000通りの
人生と生活があるわけで当然、価値観も考え方も
皆、ちがいます。
みな違う歴史をもっていきていますからね。
だからこそ、「人間」って面白いし、ひとりひとりが
貴重でいとおしいんだと思います。
ひなたぼっこさん