尾八重神楽と日々

私を「あいさつじいちゃん」と呼び、
絵を描いてプレゼントしてくれる
保育園に通う倫太郎くん。
先日久しぶりに会ったところ、
「パトカーが止まってたけど、
 何かあったと?」と質問してきました。

その1週間前位にパトカーと警察の方々が
うちの周辺で何やらされていたことがありました。
私もこれが何事か知らないのですが、
その時に、倫太郎くんはお母さんと車で通ったようでした。
するとお母さんが、
「あら、この子は覚えてたんですね。
 あの日、じいちゃんちにパトカーが止まってるから、
じいちゃんに何かあったんじゃないかって
 この子心配してたんですよ。」って。
うれしかったですねー。
保育園に通う子が、朝挨拶をするだけの
私のことを心配してくれるなんて。
人のつながりってこういうことなんだなって
倫太郎くんに教えてもらいました。
倫太郎くん、ありがとう。
ラジオネーム 都農のおもろい家族さんから
メールをいただきました。
・・・ここから・・・
先日23日勤労感謝の日、
私と、つわりでいけないうちんとの代わりに
中1の長女と二人で、
演劇「わたしのいちばんうれしい日」を観てきました。
県内の市町村から選ばれた一人ひとりに
今までで一番うれしかった日はいつだったか、
劇団員の方が取材された時の、
当事者の受け答えをそのまま演じるという、
ドキュメンタリーシアター形式でした。
すばらしい舞台で、
たくさんの方の「うれしい日」が
その人の人生と一緒に押し寄せてくる感じで、
とても心があったかかくなりました。
・・・中断・・・
このメールを送ってくださったのは、
都農町の青木獣医師なのですが、
青木獣医師も取材を受けた一人でした。
青木獣医師の「うれしい日」は
口蹄疫の後、ムツゴロウ先生に
ダメ元にメールで講演を依頼したところ、
すぐにメールで返事が来て、
電話まできた。
青木獣医師は、ムツゴロウ先生に憧れて
獣医になったこともあり、大感激だったそうです。
講演では、ムツゴロウ先生が命に関するお話をされ
その中で、シマウマを食べているライオンが
顔を上げるとその顔はシマウマの血だらけで、
それを見てライオンの顔でシマウマが生きてら~
と思ったと話されたと
インタビューに答えた様子が演じられました。
・・・再開・・・
舞台の後の交流会で、娘は
「私もやりたい!」
と、劇団員の方に言って、
すっかり演劇に、はまったようでした。
連れて行ってよかったなと思いました。
そしてそこで、椎葉の築130年のおうちで
民泊旅館をされている方と、
素敵な出会いがありました。
うちんとのお腹の子どもが大きくなったら
椎葉に泊まりに行きたいなぁ~。
とにかく「うれしい」時間がいっぱいの日でした。
・・・ここまで・・・
これは、椎葉の右田さんのことなのですが、
右田さんは、オーストラリアの御夫婦が
一週間滞在された時の内容でした。
奈良に一週間、京都に一週間滞在された後、
椎葉に一週間滞在されたそうです。
椎葉を選ばれたのは、地図を見て、
九州が気になり、その真ん中にあったのが、
椎葉村だったので、椎葉に来られたそうです。
オーストラリアの御夫婦は大変気に入られて
「こういうところにこそ、神が宿る」
などと言われていたそうです。
そして集落の方々とも交流され、
帰られる時に、
「ここにいる神が分かった」と言われ
「それは、この集落のおばあちゃん達だ」
と言われたそうです。
右田さんは大変感動され、
外国の方に教えられたという話でした。
本当に「うれしい」ですね。
いよいよ神楽が始まりました。
西都市の尾八重地区の神楽のお手伝いに
中山間盛り上げ隊として行ってきました。
尾八重地区は、
西都市から南郷村に向かう神話街道の
途中から下ったところにある集落です。
尾八重地区に向かう途中、
神話街道を走っている時に日が沈み、
それは、それは綺麗な風景も楽しむことができました。


尾八重地区に下りていくと
時代が止まった光景を見つけました。

こういった集落ならではだなーと
しばらく見入っていました。
そして、神楽本番、

尾八重地区の方々や
出身の方々が力を合わせて運営されており、
周辺の集落からもお客さんや

神楽の舞手として参加されていました。
この集落も過疎化、高齢化が進んでいます。
しかし、神楽の取組を見ていると、
今後の集落の維持運営について、
周辺集落との連携や出身者の方々の協力、
そして、中山間盛り上げ隊などの仕組みを
組み合わせることで、
これからの可能性を感じたところでした。

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